「調べる力」について考えたりした

2023/08/27

PCに詳しいのも困りもの

「PC詳しい人認定」されると、「これどうしたらいい?」っていうサポートセンターと化することが多くて、地味に困ってたりします。
じゃあ詳しい人アピールしなきゃいいじゃないかというのもあるんですが、「技術を共有することで作業速度をあげてほしい」ってのもあるし、効率悪い作業見てると「もうちょっと早くできるよ」ってなるんで、そこのバランスが難しいよね。

自分がが1時間くらいで終わるトーン貼りとか仕上げみたいなページがあったとして、他の人がクリスタの機能知らずに2時間かかるなら、技術共有してみんなで早くなりたいんだけど、
そこで「フカホリが教えてくれるから覚えなくていいや」ってなるのはなんだかな〜って毎回モヤモヤするんすよね。

じゃあGoogleで調べればいいじゃないか

という意見もあるんだけど、「調べる」ってだいぶ難しいんだなって思った。
なにかエラーを解決するにしても、

  • どういう結果を求めているのか
  • 現状はどんな状態なのか
  • 過去に似たような状況になったことはあるか と、色々考えることがある。

俗に言う「何もしてないのに壊れた」ってヤツは、「何をどうしたらこうなったのか」ってのが把握できてないorパニックになっているってことだろうから、そういう人に問題の切り分けを要求してもなかなか難しいだろうし。どうなんだろうねこれ。

文科省がやってるプログラミング教育ってのも、コードを書ける人材を育成したいわけじゃなくて、問題解決能力だと思うんですよね。
結局どんなプログラミング言語だって、どういう入力をしてどういう結果がほしいのかってのを理解してないと書けない。
そしてその能力があるってことは指示を出せるので、AIを活用するとか、部下に指示を出すとかして生産性が上がっていくってことなのかも。

「AIの使い方を教えて」という人はAIを使いこなせない

ってことに繋がっていくんだろうなあ。

最近はChatGPTに課金していて、漫画のシナリオを作るためのアイデア出しに協力してもらったりしてるんですけど、その技術は今のところ共有する気なし!という感じです。
すでに興味があっていじっている人とは話をするけど、「AIの使い方を教えて」という受動的なタイプの人は上記の調べる力がないから、そもそも教えるのにハードルが高いのでは?という可能性がある。

というまあなんか最近思ったことでした